窯工房

有田焼とは?

有田町内の連結式登り窯「有田焼」は「伊万里焼」とも呼ばれ、佐賀県有田町の周辺で焼かれている磁器である。

有田の泉山で原料である鉱石が発見され、日本で始めて磁器が出来たのは1616年、朝鮮人の陶工「李三平」によるものと言われています。

「伊万里焼」の名称は有田から約8Kmの距離にある伊万里港から積み出しが行われていたことによります。

そして有田が世界的な磁器の産地として急激に発展したのは、中国の明朝末期の内乱で景徳鎮等の磁器生産力が急激に落ちた事と、江戸時代の鎖国政策の日本が、世界に向け唯一開港していた長崎の出島に近かった事です 。
オランダ東インド会社(VOC)の帆船で、有田焼が初めてヨーロッパへ輸出されたのは1659年と言われています。それから約100年間出島からの輸出は続き、有田は世界でも有数の磁器の産地になりました。

有田では、初期には中国・景徳鎮の影響を受け主に「染付」磁器が作られていました。

「染付」は中国では「青花」と同義語で白地に藍色一色で図柄を表した磁器をさします。器の生地にコバルト系の絵の具である「呉須」で図柄を描き、釉薬をかけ焼成されます。

有田焼は製造時期、様式などにより、「古伊万里」様式、「柿右衛門」様式、「鍋島」様式等々に分類されます。

有田焼は焼成温度が高く約1300度、生地(白磁鉱)がたいへん上質なため見事な仕上がりと、長い伝統に裏打ちされた技術、文様、デザインは日本を代表する“やきもの”といえます。

350年前ヨーロッパの人々を魅了したデザインは今も脈々と受け継がれています。

現在の有田焼は、伝統様式の継承、昔の焼成技術の復元、斬新でモダンな作品の創作など様々な活動が窯元、作家の手により行われています。

また、後継者の育成のための教育や、優れた作品の保存のため美術館作り等々地域をあげて、取り組まれています。

様々な作品が作られていますが、その中には400年の有田焼の伝統が息づいています。

有田町の街中にある焼き物写真

陶板絵で作られた有田焼の製造風景

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